対談 竹内充×野中久幸

トピックス 文教人対談

%e7%ab%b9%e5%86%85_%e9%87%8e%e4%b8%ad%e3%83%a1%e3%82%a4%e3%83%b3title4

あの日から、別々の道で、

それぞれのやり方で、戦い、生きてきた。

そんな卒業生同士が久しぶりに会い、

あの頃の話、あれからの話を存分に語り合います。


%e9%87%8e%e4%b8%ad%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%95%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%83%ab

%e7%ab%b9%e5%86%85%e3%83%97%e3%83%ad%e3%83%95%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%83%ab

 

新設の情報学部は合宿所のようだった

 

— お2人は1980年に新設された情報学部の一期生とのことですが、学生時代から親しかったんですか?

竹内 なにしろ学科生が50人足らずしかいないので、自ずと仲良くなりましたね。雀友というか(笑)。

— 初代の情報学部にはどんな学生が集まっていたんですか?

竹内 日本初の情報学部というふれこみだったんですが、情報とはいっても、僕らは広報学科なので、漠然とマスコミ志望の学生が多かったと思います。テレビや出版に対して憧れを抱くような可愛らしい10代の若者(笑)が集まっていたという感じで、僕もその1人でした。

野中 将来、編集者をやってみたいという気持ちはありましたが、具体的にどこに行って何をやるのかというビジョンはなかったと思います。本当に漠然とした夢でしたね。

竹内 それほど就職を意識してここを選んだという感じではなかったんですが、僕個人としては、新設時の教授のラインナップに惹かれました。つい最近までテレビ、新聞、出版などのマスコミ各社でバリバリに活躍されていた方たちが、他の学校を経由せず、現役の雰囲気のまま教鞭をとることに大きな魅力を感じたんです。

野中 そういう意味では、私にとっては学長の小尾乕雄先生の存在が大きかった。私は東京の都立校に通っていたんですが、小尾先生は都立高の群制度をつくられた方で、そういう方が教えておられるのかと思い、少なからず縁も感じました。

— 当時の情報学部はどんな雰囲気だったのでしょうか?

竹内 文教大学は教育学部がメインですから、当時はこの学部が出来たことすら知らない学生もいたかもしれません(笑)。キャンパスの端の離れ小島みたいな所でひっそりと活動しているようなイメージでしょうか。でも、僕はそれがかえって良かったと思う。まるで合宿所か塾のような雰囲気がありました。

野中 学生数も少ないし、場所(越谷キャンパス)も田舎でしたから、下宿率がとても高かったのを覚えていますね。

竹内 でも、君は都心に実家があるのに、北千住で一人暮らししてたじゃない。

野中 まあ、そうだけど(笑)。東京都に居ないとね。

竹内 僕も新潟から上京したので、妙なこだわりでどうしても埼玉じゃなくて東京に住みたかった。だから、東京のギリギリ端の足立区竹ノ塚に住んで、そこを拠点に映画を観に行ったりしたいと思っていました。

— お2人で遊びに行くこともあったんですか?

野中 2人きりはなかったんじゃないかな。僕は1年生の時は野球をやっていたので、広報学科で同じように野球をやっている友だちとはよく一緒だったんですけど、他の人とはあまり遊んでいなかった。2人が仲よくなったのは2年目以降ですね。

— 何かきっかけがあったんですか?

竹内 それは麻雀でしょう(笑)。

野中 あの頃は大学の近くに下宿している人の部屋に集まってはしょっちゅう麻雀をやってましたね。

— 80年代初めの東京は地方から上京した竹内さんにとって、カルチャーとしても刺激的だったんじゃないですか。

竹内 そうですね。最近、当時の大学ノートを引っ張り出したら、映画やテレビ、本などについて、かなりきっちりとした評論のようなものが書いてありました。いろんなものを吸収しようというストイックな学生だったんだなと自分でもちょっとびっくりしましたね。

野中 今の話を聞くと、私は竹内みたいにまじめじゃなかったかもしれません。高校時代は甲子園を目指して野球に打ち込んでいたので、いちばん本を読んだのは中学時代でしょうか。

%e5%af%be%e8%ab%87%e9%a2%a8%e6%99%af1

 

黄金期に飛び込んだ出版の世界

 

— お2人とも、84年に出版社に就職されますが、マスコミの中でも、なぜ出版社だったのでしょうか?

野中 テレビ局は倍率が高かったし、もちろん出版社も大手は狭き門で、どこに入れるという確証はなかったんですが、運良くうちの会社に決まったという感じですね。今は私も面接官をやりますが、目の前の学生がどこの大学なのか全く分からずに面接します。そういう意味ではラッキーだったのかもしれません。

竹内 僕は報道の仕事がしたいと思っていたんです。現場で取材をする仕事が出来れば媒体は何でも良かった。とはいえ、野中の言うように、テレビ局や新聞社には力及ばず入れませんでした。ちょうど光文社が『週刊宝石』を創刊した時で、この雑誌が他のおじさん向けの週刊誌と比べて非常に魅力的に映ったんです。「そうか、雑誌のジャーナリズムというのもあるな」ということに気づいて入社試験を受けました。大手出版社を受けたのは一社だけです。脇目も振らずに「この『週刊宝石』がつくりたい」と。
採用試験で覚えているのは、僕個人のデータよりも文教大学についての資料のほうが多かったことですね。というのも、これまでマスコミ系を志望する学部がなかったので、卒業生もいない。「文教大学って何?」から説明しなければならないわけです。もっとも、卒業生がいなかった分、色が付いていない良さがあったのかもしれません。

野中 私も、もちろん集英社のことは知っていましたし、ちょうど小学生の頃に『週刊少年ジャンプ』が創刊されたこともあって親しみのある会社でした。それから、これは竹内とは違うかもしれないけど、普通のサラリーマンをやりたくないという気持ちが強かったんです。だから、夜遅くまで働いてもいいからネクタイをしないで会社に行って、自由に仕事をする編集者という仕事に就きたかったんです。

— それで実際に配属されたのは?

野中 入社した時は全員編集者志望でしたが、残念ながら私は、当時の名称で業務部という、営業部門に配属されました。その後一度編集部に異動になったんですが、それ以降はずっと販売部です。コミックス販売と書籍販売の両方に携わりまして、合わせると26年くらいになるのでキャリアの大部分は販売ということになります。

— これまでのキャリアの中でいちばん印象に残っている出来事は何ですか?

野中 コミックス販売にいた2011年頃、『ワンピース』が爆発的に売れて、総部数が2億冊を突破し、途中の巻の初版が400万部に達した時でしょうか。400万部をつくる製本工場を見に行ったんですが、機械をフル稼働しても全てつくるのに一週間くらいかかるんです。出来た本をそのまま置いておくと身動きがとれなくなるので、出来た端からどんどんトラックに乗せて出荷していく。それを見た時、こんなことはもう二度とないだろうなと思いましたが、本当になさそうなのでちょっと寂しいですね(笑)。

— 『週刊宝石』もかなり売れましたよね?

竹内 当時はすごく売れましたね。ライバル誌の中でいざトップをうかがうという所までいった辺りで、当然、会社としてはそこから派生した新たな媒体を考えます。そこで挙がったのが、写真週刊誌とマンガ雑誌でした。実はうちも元々はマンガに力を入れていた出版社だったんです。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』などの人気マンガを連載していた『少年』、そして『少女』というマンガ雑誌を出していた頃はかなり売り上げも良かったんですが、しばらくして当時の社長が「これからは子ども向けの雑誌はつくらない」という大方向転換をして、まさに『ジャンプ』と入れ替わるようにしてマンガ雑誌から撤退しました。
ただ、集英社さん、講談社さん、小学館さんという御三家の景気の良さを見るにつけ、やはりマンガをやらねばなるまいという話になり、『週刊宝石』の増刊として大人向けのマンガ雑誌を出すことになります。僕はそちらに移って、8年くらい、潰れるまで関わりました。マンガ雑誌の編集者をやるのは初めてでしたが、やはり御三家の編集者とは総合力が違うのでとても歯が立たない。これはダメだなということで8年で潰したんですが、今の集英社さんと光文社の差は、完全にマンガでつきました(笑)。

野中 いや、今でも女性誌は光文社さんのほうが強いですから。

竹内 その後、僕は文芸誌の『小説宝石』に移り、最終的に編集長までやって、今は校閲部に移った、と。

— 竹内さんのこれまでのキャリアの中で最も充実していたのは?

竹内 やはり、入社直後の『週刊宝石』時代の現場ですね。文芸誌に移ると、今度は日本で存命の作家のほぼすべてとおつきあいすることになります。知の結集のような方々と身近につきあえたことも大きな財産です。

%e5%af%be%e8%ab%87%e9%a2%a8%e6%99%af2

 

急速に変化する出版界の中で

 

— そんな中、仕事をする上で最も大切にしてきたことは何ですか?

竹内 ずっと編集に携わってきましたが、大切なのは人づきあいなんです。ようするに、取材相手や作家に好かれるかどうか。少なくとも人に嫌われないことが重要です。とはいえ、僕は根がルーズなので、それで出入り禁止になったこともありますが(笑)、そういうことはあまり気にせず、気に入ってもらえるまでとことん粘ることですかね。

— 作家の中には気難しい方もいると思いますが、気に入られるコツはあるのでしょうか?

竹内 僕は変に度胸があるというか、その作家の書いたものをあまり読まずに会いに行ったりするんです。だから、最初はなるべく仕事の話にもっていかずに、今でいう「雑談力」のようなもので相手の関心を引きつける。もちろん、最終的には、いつまでにどんなものを書いてくださいという話にもっていくわけですが、まず相手と仲良くなることのほうが大事で、仕事の話はその先にあるという感じでした。だから、いったん気に入られると長いおつきあいになりますね。

— 84年の入社ということは、ちょうど日本経済がバブルに突き進んでいく時代ですが、バブルの絶頂期あるいは崩壊後の影響はあったのでしょうか?

野中 数字だけで言うと、バブルが弾けて4~5年くらい経ってから、うちの業界の衰退が始まっているんです。今、前年を超えられない状態が17年くらい続いているんですが、金額ベースで見ると影響が出始めたのは1998年頃からですね。

竹内 ただ、今の出版不況とバブル崩壊はまた別のベクトルでしょうね。良くも悪くもバブルの影響はあまり受けていないんじゃないかな。

野中 そうかもしれない。バブルになって本が急激に売れたということもなかったですね。

竹内 今はそんなことは言われないですけど、僕らが入社した頃は、「不況になると本が売れる」と言われていました。ようするにお金をあまり使えないから本でも読もうか、雑誌で暇つぶししようか、と。そういう意味でも、バブル後の不況で売り上げが伸びたという印象もなかったですね。

— 今お話しに出た出版不況はやはり深刻ですか?

野中 私の個人的な感覚では、すごく落ちてきたのはここ1年です。消費税が増税してから雑誌も書籍もコミックスも全部落ちています。しかも落ち方が前にも増して激しくなっているのでかなり危機感を感じていますね。具体的にいちばん落ちているのは文芸小説の単行本で、毎年10%ずつくらい落ちている。このままいくと小説を買う人がいなくなるんじゃないかと心配ですね。雑誌は特に若い人向けが非常に厳しいですね。コミック誌も部数が減っています。少子化ということもあるし、一方で小説を買ってくれていた層もだいぶ歳をとられて本を買わなくなってきているのかなという気もします。

— ネットの影響も大きいのでしょうか?

野中 もちろん影響あると思います。うちも電子書籍でのコミックス販売は毎年過去最高の売り上げを更新しています。コミックスに関しては、リアルと電子を足すとまだ前年を上回っていると言えるんですが、雑誌は年々マイナスになってしまっているので、厳しい状況です。雑誌も電子で扱っていますが、金額ベースで採算ラインに乗せるのはかなり難しいと思います。

— そうした現状を突破する策はあるのでしょうか?

野中 各社いろいろ打開策を考えていますが、どれが答えかというのはすぐには見つからないでしょうね。

竹内 うちの場合、週刊誌『女性自身』以外にも『JJ』『CLASSY.』『VERY』『STORY』『Mart』等のラインナップの女性誌がメインということもあり、頼りになるのは圧倒的に広告収入です。その一方で、雑誌が独自に洋服や雑貨などをメーカーとコラボしてオリジナル商品をつくる動きも活発化しています。そういう意味では従来の出版社という形から、少しずつ別の分野とも連動していく動きが出始めていますね。

野中 昔は単行本も3年くらい時間をかけて売っていこうとしていましたが、今は文庫化までだいたい2年位です。かなり売れた単行本でも早めに文庫にするので、非常に勝負が早くなっています。単純に単行本が売れないので、倉庫にストックしていてもしょうがないから早めに文庫にしようという話になる。先ほど『ワンピース』の初版が400万部という話をしましたが、初版4000部という単行本はざらにあります。それだと最初から赤字に近いので、早く文庫にしてなんとかペイ出来ればいいねということになるんです。

%e5%af%be%e8%ab%87%e9%a2%a8%e6%99%af3

 

卒業生が情報交換出来る場を

 

— ところで、お2人にとって、情報学部で学んだことは今のお仕事に活きていると思いますか?

竹内 僕は大学で勉強してきたことがほぼストレートに活きていると思いますね。国際報道のゼミに入っていたんですが、担当の教授はついその前まで朝日新聞の論説委員をやっていた一線級のジャーナリストです。とても温厚な方で、僕にとっては親父みたいな存在でした。他の先生方からも、皆さんがそれぞれの現場で得たことを直接聞くことが出来た。僕にとって、メディア人としての考え方やスタンス、編集者としての骨格はその4年間で完成したと言っていいと思います。
もう一つは、テレビやラジオ、新聞の仕事に関して一通り学ぶことが出来たこと。それによって、出版の仕事をするようになってから、テレビの切り口や新聞のアプローチなどを自分の仕事の仕方に加えることが出来ました。たとえば、法学部や文学部を出て出版社に入った人間の場合、それは出来ないわけです。意外とみんな、他の分野のマスコミの仕事の仕方や姿勢について知らないんですよ。大学時代にそれが一通り学べたことで、いろいろな角度からものを見られるようになったことは大きかったですね。

野中 素晴らしい答えですね。そのままお借りしたいくらい(笑)。逆に私は反省点として、もっと読書をしておけば良かったという後悔があります。自分の好きな動物ものや戦記ものは読んでいたんですが、純文学系を読んでいなかったので、入社してから他の誰よりも読書量が足りないことを思い知らされましたね。販売に配属されてからは、どの出版社のものでも、少なくともベストセラーと呼ばれるものは必ず読むようにしました。そして、少しでもいい所があれば、どこがどういいのかを分析するようになりましたね。

竹内 でも、僕もいわゆる純文学とかマンガは、学生時代にはほとんど読んでなかったですよ。根っからのジャーナリズム志向だったので、どちらかというと嫌いだった。ところが、仕事としてやってきたのは皮肉なことにマンガと文芸ですからね(笑)。もっとも、そこが評価された部分でもあるんです。「先生の本、全部読みました」というタイプではないので、どこかドライに見ているところがあった。見方が普通の編集者と違うわけです。それがかえって良かったんじゃないかとは思いますね。

— お2人は卒業後もお会いになる機会はあったんですか?

竹内 30年で2、3回じゃないですか。

野中 同窓会で会うくらいでしたね。

— 今回、竹内さんが音頭をとって文教大学ビジネス同友会を起ち上げられたそうですね。

竹内 実は20代の頃から構想はあって、同じ業界にいる人間が情報交換出来る場があるといいねという話は野中にもしていたんです。ただ、さすがにみんな忙しい時期だったので実現出来ずにいたんですが、50歳を過ぎてそろそろ暇になって来たので、ここら辺でやらないと「やるやる詐欺」になってしまうな、と(笑)。

— 具体的にはどんなことをやっていく予定なんですか?

竹内 現在加入してくれているのは150名くらいですが、民間企業や公務員、マスメディアそして起業自営者ほか、様々な職種で活躍しています。20代から50代まで、短大を含めた全学部の卒業生に亘るんですよ。OBであれば誰でも参加できます。次々とイベントを企画するなりして、その人たちを飽きさせない仕掛けをつくらなければいけないと思っています。

— 単なる同窓会ではないわけですよね?

竹内 もちろんそうです。僕の勝手なイメージでは、我々もあと数年で定年退職を迎えるので、たとえば定年後の再就職支援のようなものが出来ないかとか、あるいは後輩の中にはフリーで仕事をしている人間も多いので、お互いに仕事をシェアしたり協力し合っていける仕組みがつくれないかとか、いろいろアイデアはあるんです。時々集まって飲みながら名刺交換をするだけでも随分違うんですが、もう少しいろいろと仕掛けていきたい。たとえば、野中に書籍のマーケットについて話してもらうとか、いろいろと腹案はあるんですけどね。

— 20代の頃に集まるのとでは皆さんの蓄積も違うでしょうから、充実した会になりそうですね。

竹内 そうなんです。みんな苦労して大物になったなあと思いますよ(笑)。まずは2017年の創立90周年をひとつの目標に、少しずつ形にしていけたらと思っています。

— 楽しみにしています。本日はお忙しいところありがとうございました。

(2015年5月27日に対談実施)

※ビジネス同友会への入会のご希望・お問い合わせは以下よりどうぞ。
>> お問い合わせ

※この対談は文教大学校友会「あやなり」で取材されました。

第3回キャリアサロン開催のお知らせ

第3回キャリアサロンの開催が以下のとおり決定しましたのでお知らせします。

日時:2016年11月12日(土)15:00~16:45(14:30受付開始)

場所:文教大学 旗の台キャンパス会議室6
東京都品川区旗の台3-2-17
(大学正門を入ってすぐ右側、南棟4階)
https://www.bunkyo.ac.jp/access/hata.htm

テーマ:異業種の収益モデルを比較研究!(仮)

参加費:無料
(人数:30名前後を想定)

登壇者:
●熊倉俊博さん(北越紀州製紙株式会社・1994年国際学部国際学科卒)
●五十嵐正理さん(株式会社神奈川銀行・1995年情報学部経営情報学科卒)
●玉生孝之さん(フィリップモリスジャパン株式会社・2000年情報学部広報学科卒)

今回は3社全く異なる業界・職種でご活躍されているOBがご登壇。企業の営業、購買、銀行、それぞれの目線から見たお金についてお話しいただきます(予定)。

※サロン後、近隣のお店にて懇親会を行います(自由参加)。
前回好評の食べ放題・飲み放題の中華居酒屋を予定。懇親会では別途参加費(ひとり3000円ほど)をいただきます。

お申込み締切:11月7日(月)

下記フォームまたは bunkyo.bd@gmail.com あてにてお申し込みください。懇親会の参加(参加希望・不参加・検討中)もご記載いただけますと幸いです。

ぜひご参加ください。(担当幹事 平田裕子)

参加申し込みフォーム

[contact-form-7 id=”77″ title=”入会申し込み用”]

 

会員紹介 小倉 茂さん(株式会社サンプラネット)

会員紹介001

親会社エーザイの後方支援が中心業務。
小冊子やポスターなどの販促物を企画制作しています。

1小倉さん_1

小倉 茂さん
株式会社サンプラネット勤務

●文学部中国語中国文学科 1993年卒業
●志村和久ゼミ(広域中国学)
●東京都荒川区出身

文字BUSINESS-2

サンプラネットは、チョコラBBでおなじみの製薬会社エーザイのサービス系子会社です。業務はエーザイのサービス支援が中心で、私は営業職として主にセールスプロモーション物の企画制作を担当しています。
具体的には、病院などの医療機関で配布されている小冊子や、ポスター、キャンペーンでの景品といった広告宣伝物を、お客様の要望に沿うように提案して、カタチにします。

子会社とはいえ大手代理店と競合することも多く、企画の実現は容易ではありません。中には半年越しの時間を要するコンペになる場合もありますし、価格や納期など、お客様のご希望に合わせることが最初から難しいケースも多々あります。
そうした問題をどう調整するかも、やりがいの一つ。仕事をする中で出くわすさまざまな課題を、自分だけでなく、社内や協力会社の方々とのセッションによって解決していくところが醍醐味です。

あるエーザイ商品のドラッグストアでの販促展開に関わったときの仕事は、これまでの中でもとくに印象に残っています。それは店頭の演出ディスプレイからキャンペーンの方法など、すべてのディレクションを担うものでした。
規模的にもスケジュール的にも自分一人の力で仕切り切れるものではありません。社内の人をはじめ、関係するあらゆる方の力をお借りしながら、助けられながら、限られた時間の中、ようやくの思いで成し遂げることが出来ました。この時ほど「いい仕事ができた」と思えたことはありません。お客様からも評価をいただき、この上ない満足感を得られました。

こうした仕事をする中で思うのは、仕事というのは自身を成長させる源であるということです。リスクや苦しさがあるからこそ、すべてが自分の成長につながっていると感じています。そして、つねに身の丈に合ったハードルが用意されています。
目の前にあるひとつひとつの仕事に誠実に向き合うことこそ私が大切にしている信条であり、人生に欠かせないものであると確信しています。

勤続20年を超えていま、最近では仕事を通しての部下の成長にも関わるようになり、責任感も充実感もいっそう大きくなってきています。

 

文字BUNKYO LIFE

中国の文化や文学を学ぶ日々。
志村和久先生のゼミで学べたことが財産です。

子どもの頃から書道を続けていたこともあり、そのルーツといえる中国の文化や文学を学ぶため、文学部中国文学科の3期生として文教大学に入りました。文教を選んだ理由は、受験生のころ聞いていた「大学受験ラジオ講座」で、漢文の楽しさを教えてくださった志村和久先生がいらっしゃったからです。
入学したあとは何よりもまっ先に志村先生のもとにかけつけて、ラジオを夢中になって聞いていた旨を先生にお伝えして、懇意にさせていただくようになりました。

志村先生は、自称「材木屋」(=木(気)が多い)というほど、普段はダジャレ好きの朗らかな先生でした。日中文化に精通し、博学かつ多趣味でいらっしゃいました。研究室には書籍のみならず、資料やグッズで溢れていました。
3年次からゼミを選択しますが、志村先生は「広域中国学」と称して、中国にまつわるテーマであれば研究内容を許容するスタンスでした。毎年希望者が殺到するため、あらかじめ条件を設けていましたが、その条件というのも、たとえば志村先生が主宰の「散歩会」に参加すること。「散歩会」では横浜中華街や浅草など訪れたことが思い出されます。

3年次の後半から志村先生の体調が優れず、出講する頻度が激減していました。4年次の卒論進捗確認は毎月1回30分程度でしたが、ゼミ生が必要であろう参考資料を毎回用意いただいて、密度の濃い指導を受けることが出来ました。

残念ながらいまは亡くなられてしまいましたが、志村先生のゼミで学べたことはいまだあせることのない、大きな財産になっています。

サークル活動ではバドミントン部に所属していましたが、いつのまにか幽霊部員となってフェードアウト(笑)。草野球チーム「文教バブルス」に所属したりもしていましたが、あまり熱心ではなく、高校の進路説明会などを企画開催する会社でアルバイトをするなどして大学生活を送っていました。
このアルバイトはたまたま求人情報誌でみつけたのですが、思いもよらず、なかなかにいい経験ができました。というのも…

仕事はアルバイトの学生ごとに日本全国の担当地域が割り振られていて、その中で私は東北エリアを任されることになりました。簡単に言えば、東北各地の高校を訪ね、進路指導主任の先生とお会いして、生徒を対象とした「進路説明会」をやりましょうという提案をひとつひとつ実現しようとするものです。仕事としては進路説明会を実現させるとともに、教材の販売なども含まれてはいるのですが…。

何よりも素敵だったのは、その仕事のために1週間かけて東北地方のいろいろな高校を渡り歩き、交渉するすべてのスケジュールから訪問先から全部を私に一任されていたということです。数十万円のお金をどん!と渡されて、あとは自由、という。いま考えても太っ腹というか、少し変わっていますよね。
このアルバイトを通して、仕事のおもしろさと責任と、何よりも「営業職」の楽しさを知ることが出来たと思っています。やはり私は人が好きであり、人と関わる営業職が好きだったのです。

 

文字PRIVATE

趣味は書道、芸術鑑賞、クラシック音楽。
「銭湯」と「居酒屋巡り」で息抜きをしています。

先にもふれましたが長く書道を続けており、日本書道学院の師範(書号:脩竹)の免許を持っています。実は一時は書の道に進むことも考えていたのですが…身の程を痛感して就職したといういきさつがあります。

文教を卒業して最初に、ある大手メガネチェーンに就職しました。
会社では好きな営業職に就いていたのですが、働きながら、長年培ってきた自らの中の「何か」がどうしても頭をもたげてきてしまっていることにある時気づきました。つまり、「書の道」を捨てきれていなかったのです。
そうなったらもう、矢も楯もたまらず、1年あまりでメガネチェーンを退社。所属している書道会の事務局で事務処理や文献の整理などを手伝いながら、ひたすら「書道三昧の」日々を過ごすことにしました。

「書は人なり」という言葉は広く知られています。古くから、書を人に喩えた言葉が残されておりますが、北宋の書家蘇軾は「書に心・気・骨・肉・血あり」と評しています。
書は書き手の心のありようを写す鏡であり、年を重ねるごとに表情を変えていきます。技術的な「うまさ」が際立った書より、奇をてらわない、ありのままが反映された作品を発表していきたいと、これは当時もいまも変わらず考えています。

「山秀朗」(やましゅうろう)元・袁桷の詩句「山色が美しく、秀でて朗らかである」※行きつけの「饗酒堂 温十条店(東京都北区)」に寄贈

「山秀朗」(やましゅうろう)元・袁桷の詩句「山色が美しく、秀でて朗らかである」※行きつけの「饗酒堂 温十条店(東京都北区)」に寄贈

書道に打ち込んだ生活も1年もすると、世界の厳しさが身にしみいるようになり、再就職を目指すことを余儀なくされるようになりました。新たな職場=サンプラネットに幸運にも救われて、現在に至ります。

ありがたくもサンプラネットでの充実した日々は前述のとおりですが、やはり仕事の合間合間での息抜きは欠かせません。
音楽や芸術が好きなので、休日など、ふだんはクラシック音楽をよく聴きます。世界の小澤征爾さんは子供の頃から好きな指揮者です。また、いつもたくさんの人と接しているため、ときどき「銭湯」に行ってぼーっとしている時間をつくっています。あとはお酒が好きなので、「居酒屋巡り」がこの上ない気分転換になっています。

皆さんとも、仕事を超えた、何らかの形で交流を深められるといいですね。ビジネス同友会のメンバーとの新たな出会いをこの先楽しみにしています。

 

文字FAVORIT ONE

【わたしのイチオシ本】

『踊り候え』鴨居 玲 著

鴨居怜_踊りたまえ

私の好きな画家、鴨居 玲の著作です。大学在学中の頃、鴨居の絵と出会い、陰鬱で暗く重い画風は決して心地のよい絵ではありませんが、見るたびに心を釘付けにされました。

本書『踊り候え』は、スペインでの生活のエピソードや、画家としての生きざまを記したエッセイ集です。絵のタッチとは正反対の、ユーモアにあふれた軽妙な文章で綴られています。鴨居の絵に興味がなくても、気軽に読めるエッセイ集としておすすめします。人生は、かくも味わい深いと、胸にしみいります。

プロ野球の舞台裏に興味津々 夏のキャリアサロン特別版「西武ライオンズ・スタジアム探訪ツアー」開催

プロ野球の舞台裏に迫るキャリアサロン特別企画「西武ライオンズ・スタジアム探訪ツアー」が2016年8月28日午後、西武プリンスドーム(埼玉県所沢市)で開かれました。埼玉西武ライオンズ営業部勤務の栗原一彰さん(2010年、文・英米卒)の力添えで実現し、会員とその家族や友人ら約40人が参加。栗原さんの案内で試合前の球場をつぶさに見た一行からは、そこかしこで驚きの声が上がりました。

今回はバックヤードの見学と、西武対日本ハム23回戦が観戦できる欲張りな企画で、ファンならずとも興味をひかれる内容。はるばる、栃木県足利市から夫婦と息子の3人で参加した会員もいました。この家族は父子ともに情報学部卒業生で、興味津々の他の参加者から質問攻めにあう一幕もありました。

ホスト役を務めてくれた栗原さんは、埼玉県で生まれ育ち小学校から野球に没頭。中学、高校では硬式の白球を追い続けた本格的な野球少年でした。もちろん、西武ライオンズの大ファン。文教大では野球をサークルで楽しみ、就職先には小さい頃から憧れの球団を選びました。栗原さんは「天職です」と公言し、張り切る毎日です。

栗原さん(中央こちら向き)の解説に興味津々の参加者たち

栗原さん(中央こちら向き)の解説に興味津々の参加者たち

この日、参加者は試合開始の約3時間前に集合、栗原さんの解説を聞きながら西武ライオンズの本拠地を“探検”しました。トイレなどの改修に松阪大輔投手の大リーグ・レッドソックスへの移籍金約60億円の一部を充てたこと、昨年は2億円かけて人工芝を野球専用のものに張り替えた話など、興味深い話が続きました。また、シーズンシートやボックスシート、オーナーズ・レストランなど、普段はあまり縁がない高級感あふれる設備や施設には、参加者の間から思わずため息が出ていました。

オーナーズレストランの豪華さにはため息も

オーナーズレストランの豪華さにはため息も

試合前のフリーバッティングの快音が響く球場内を見て回るツアーは、アッという間の出来事で、みんな大満足の「研修」になりました。

なお、この日の試合は接戦の末、4―3で西武が勝利。西武は日本ハム2点リードの6回1死1、3塁でメヒアのリーグトップに並ぶ30号3ランホームランで逆転。8回にも1点を加え、逃げ切りました。「二刀流」で注目の日本ハム・大谷選手は3番・DHで先発し4回表に鋭い右前安打。9回には日本ハム・中田のバックスクリーン右にライナーで飛び込む、目の覚めるようなホームランも目の当たりにできて、大満足の企画になりました。

フリー打撃を見ながら栗原さん(右)の説明に聞き入る

フリー打撃を見ながら栗原さん(右)の説明に聞き入る

夏のキャリアサロン特別版 プロ野球「西武ライオンズ・スタジアム探訪ツアー」のご案内

文教大学ビジネス同友会
会員各位

みなさん、こんにちは。蒸し暑くなってまいりましたが、ますますご健勝のことと存じます。

2016年8月28日(日)、ビジネス同友会主催・夏のキャリアサロン特別版、プロ野球「西武ライオンズ・スタジアム探訪ツアー」の開催が決まりましたので、ご案内いたします。

スポーツ(エンタテイメント)ビジネスは、どういう仕組みで成り立ち、どうやって収益をあげているのか?
自治体とどう連携し、箱もの(スタジアム)運営の工夫は?ライバル企業(他球団)との競争、差別化のポイントは? 球場内での飲食、物販などの利益構造、球場広告のメリットや効果について。

など、開場前に、ふだん見られないバックヤードを視察いたします。ガイド・解説は、ビジネス同友会会員で西武ライオンズご勤務・栗原一彰さん(2010年、文学部卒) によります。

その後、実際のナイター観戦で盛り上がりましょう! (VS日本ハム。大谷は投げるのか!?)

下記の要項に沿って、奮ってご参加ください。真夏の休日を一緒に愉しみ、親睦を深めましょう。

ビジネス同友会・会長
竹内 充

【西武ライオンズ・スタジアム探訪ツアー】実施要項

■日時
平成28年8月28日(日) 14:45、現地集合。
16:00の開門まで、スタジアム視察ツアー。
18:00試合開始(ゲーム終了後、懇親会を予定)

■場所
西武プリンスドーム(埼玉県所沢市)

■対象
ビジネス同友会会員とその家族(恋人も可)

■定員
60名(お早めにお申し込みください。申込み多数の場合、会員優先)

■参加費
会員1,000円 家族・恋人1,500円

*観戦チケット代金(内野指定席B通常3,000円)も含まれます。
会員・栗原さんのご手配と当会からの補助により1,000円で実施いたします。
現地までの交通費、場内での飲食、懇親会ワリカン等は各自負担になります。

夏休み最後の日曜日にあたります。ご家族連れも大歓迎。猛暑の予想があるこの夏がゆくのを惜しんで(?)乾杯しましょう!

■申込締め切り
2016年8月15日(月)

■参加申し込み方法
参加ご希望の方は、bunkyo.bd@gmail.com へメールか、下記フォームよりご連絡ください。
またその際、氏名・卒業年・卒業学科・同伴者がいる場合は人数をお知らせください。

[contact-form-7 id=”77″ title=”入会申し込み用”]
ビジネス同友会事務局
(https://bunkyobiz.net/)

【追記】

来年度の第4回総会パーティの日時が決まりました。(気が早いですが)

日時 平成29年6月3日(土)、17:00~21:00
場所 アルカディア市ヶ谷(例年と同じです)

こちらは別途ご案内いたします。